朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』感想 自分の高校生活を思い出しすぎて胸が苦しい
『桐島、部活やめるってよ』を読みました。
あああ~~~~~~高校時代のいろんな思い出が頭をよぎって苦しかったよおおお。
認めたくなかったんですけど、わたし朝井リョウさんの小説めっちゃ好きかもしれない。
高校の教室の雰囲気、何気ない会話、体育館の部活の風景、お昼休みのお弁当、全校集会、すべてが懐かしくてキラキラしているけど、あの「高校」という狭くて息苦しい空間を思い出して、もう二度と戻りたくないと悶えました。
あのときはあの教室がすべてで、そこでうまく馴染めなかったら全部が終わると思っていたし、そこで中心になることがステータスだったし、どこのグループに属するかは最重要課題だった。
わたしの高校時代は全然冴えなかったので、もうあんな息苦しいのはこりごりです…。
スポーツができたら「上」とか、ブスだったら「下」とか、制服を着こなせれば「上」とか、恋人がいれば「上」とか、いま考えるとめちゃくちゃくだらないし、そんなことで人を判断することなんてできるわけないのに、どうしてあの頃はそんな風に人をランク付けしていたんだろう。
わたしは「上」になりたい「下」の人間だったので、そのことを思い出して胸が苦しいです!
高校のときはわたしもすっかりスクールカーストに翻弄されていたので、クラスの中心になっているような男の子に憧れたし、「わたしそんなにブスじゃないし、がんばればいけるのでは?」とか思っていた。ぶん殴りたい。
小説の中の前田くんは冴えない映画部の男の子なんだけど、好きなものに熱心で誰よりも輝いていました。(映画を先に見たので前田くんは神木くんで脳内再生されています)
おそらくわたしが高校のときも「前田くん」みたいな人はたくさんいたはずなのに、目に見えることだけで判断して、その人の芯の部分を知ろうともしていなかった。
小説の中ではリア充の宏樹くんがそのことにハッと気がついて、わたしもこういう風にあのとき気がついていたらどんなに良かっただろうとすごく眩しかった…。
結局高校生の頃ってまだ子どもで、人を見かけとか人からの評価とか、そういったことでしか人を判断できない。…と思っていたけど、大人になったいまでもそういった判断ってまだ少し残っているんだよね。
わたしはすぐ「キラキラ女子め!」とか「Facebookでリア充アピールしやがって!」とか思ってしまうし、これも結局上辺だけでしか人を見ることができていないんだよなぁ。大切なものを圧倒的に見落としている気がする。
でも、大学生になって、社会人になって、そういった「上」「下」のランク付けから、多少は抜け出せたから、やっぱり大人になるってサイコーだよなと思います。
高校生はもうごめんだ。
ちなみに、映画の『桐島、部活やめるってよ』とは完全に別物でしたね。
いや、基本的には同じだけど、映画はラストのあのシーンがメインだから、そこが決定的に違うかな(笑)。
でも映画見て、原作も読んで、やっと映画のラストシーンがしっくりきたような気もします。初めて見たときは全然意味がわかんなかったので。
朝井リョウさんの小説完全に好きなので、引き続き別のも読もうと思います。