北村薫『太宰治の辞書』が発売されたので、『円紫さんと私』シリーズを読み返しました
なんということでしょう。
『円紫さんと私』シリーズが10年以上ぶりに発売されました。
また!またあの二人に会えるなんて、夢のよう。
なんと15年以上ぶりの復活です。
北村薫『円紫さんと私』シリーズは、今回の『太宰治の辞書』を入れて全部で6冊となりました。
ああ、なつかしいなあ。
わたしは高校生のときにこのシリーズを読んで、ひどく感激したのを思い出しました。
わたしも読んだのが10年以上前で、内容をちっとも覚えていないので、新作『太宰治の辞書』を読む前に、シリーズを全部読み返すことにしました!
いま読むとどう感じるのかなって思ってたけど、相変わらずおもしろくって、あっというまに全巻読破です。
最近は昔好きだった小説とか漫画とか映画とか、もう一回読んだり見たりするのが好きです。
31歳にもなってくると学生時代ぐらいのことを完全に忘れているので、もう一回楽しめるという……。
さて、『円紫さんと私』シリーズとは、大学生の『私』と、大学のOBであり落語家の円紫さんが繰り広げる日常系ミステリーです。
この小説の魅力って、ミステリーがどっちかというとおまけで、ミステリーにまつわる文学であったり、落語であったり、演劇であったり、そういった話を通して謎を解いていく(あるいは謎解きに関係なく雑談としてそういう話をしている)、それが最高におもしろいです。
文学を中心とした文化的なものを学ぶこと、知ることのおもしろさっていうのかなぁ。
読めば読むほど勉強したくなってくる、知的好奇心がめちゃめちゃくすぐられる小説です。
文学とか落語とか、ちょっと難しい話も多いんだけど、ミステリーのおかげで読みやすくなるっていうね。
「大学生ってこんな勉強ができるんだ」とか、「先生と生徒ってこういう関係性なのかな」とか、読んだ当時は憧れが募りました……。
いま読むと、「もっと勉強しとけば良かった……」ってなります笑。
この小説がスタートしたのが1989年らしいので、いま読むと時代を感じるところもしばしば。
携帯はないし、ワープロがめずらしいし、インターネットとなんて出てこない。
最新作の『太宰治の辞書』では、大学生だった『私』が大人になっているわけだから、当然時代も『いま』になっていて、ちょっと寂しいような気もしました。
シリーズとして、わたしが好きなのは最初の二作。
『空飛ぶ馬』と『夜の蝉』です。
上記の要素が全部詰め込まれているのがこの2冊。
心がふわっとなるような温かい話も、ちょっと嫌な気持ちになる話も、どれも全部好きです。
高校生当時は『空飛ぶ馬』の話が一番好きでした。
いまも変わらず『空飛ぶ馬』は好きですが、改めて読み返すと、『六月の花嫁』も良いよなぁ……。
まぁ、どっちも結婚がテーマになっているし、わたしの精神は高校生のときのままかもしれない(笑)。
『夜の蝉』では、詩吟サークルに入ってる友人の正ちゃんが吟じていた句が良かったなぁ。
朧夜の底を行くなり雁の声
3作目の『秋の花』は『円紫さんと私』シリーズ唯一の長編です。
ミステリーらしく、このシリーズでは唯一人が亡くなります。
『円紫さんと私』シリーズは、前述の通り、ミステリーより文学よりなんだけど、この作品はしっかりとしたミステリーになっていて、ミステリーとしておもしろいです。
いつものシリーズだったら、ちょっとずつゆっくり読むんだけど、この作品は一気読みしちゃうやつです。
そして4作目『六の宮の姫君』。
シリーズ史上、とにかく難解です……。
もはやこれは小説ではなく、完全に芥川龍之介に関する論文です。
文学をずっと勉強してきた主人公の『私』が、学生生活の締めくくりとして卒業論文を書き、それで締めくくるのは、この作品としては当然の流れなんですけど、それにしてももうちょっと物語性があっても良かった……。
読んだ当時も難解でなかなか読み切れなかったんですけど、31歳となったわたしでも無理でした笑。
物語っぽいところだけちゃんと読んで、論文のところは完全に読み飛ばしました。
難しいんだもん……。
そして5作目『朝霧』。
大学生の『私』としては最終巻。
出版社でのアルバイトの様子が描かれていて、『私』が学生からどんどん大人になっていくようで寂しくもありました。
忠臣蔵の話はとてもロマンチックで、ラストにふさわしいさわやかな良い話でした。ときめいた。
それにしても、『私』の就職はあっさり決まりすぎでしょう!
同じ文学部卒のわたしから見ると、出版社にそんなにあっさり決まるってある!?と勝手にジェラシー燃やしてしまいました笑。
いや、きっと時代もあるんだけどね。
そしてこの前発売された『太宰治の辞書』。
タイトルから嫌な予感はちょっとしていたんですけど、『六の宮の姫君』の再来でした=完全に太宰治研究の論文でした。
難解、難解だよ〜!涙
初期の『日常のミステリー』要素はどこへやら。
研究もある意味、謎を解いていくミステリーなのかもしれないけれど、これは作者の北村薫さんが研究したことを『私』
を使って無理やり小説にしただけではないか……?
ひぃひぃ言いながらなんとか読んだけど、読んだといえるのか。
論文部分はほぼ読み飛ばして、ストーリーに関わるところだけ読みました。
『私』がすっかり大人になって、子どもまでいるのはなんとなくショックでした。
本にしても映画にしても、後日談みたいなのを見るとだいたいショックを受けるという笑。
円紫さんは変わらなくてうれしかったなー!
しかし今回の『太宰治の辞書』では、円紫さんはほとんど出てこないし、なんと謎解きもしないので、これもまた時間の流れみたいなのを感じてしまって寂しかったです。
2人の名コンビ、また見たかったなぁ。
物語はおそらくここまででさすがに終わりだろうな。
全6冊の中では、難解なものもたくさんあったけど、それでも『難解なものを読む』楽しさみたいなのが味わえて、これこそが読書の醍醐味かと思います。
このシリーズを読み終えたことによって、「名作を読みたい!」欲がむくむくと湧いてきて、いまは図書館で文学全集を借りてきてちまちま読んでいるところです。
この感想はまた後日。